〜〜“よさこい”との出合い&エピソード〜〜


おいらが“よさこい”の世界に出合ったのは、2001年3月のこと。
おいらが所属する吹奏楽団の謀団員が通っている、とある管楽器教室の同メンバーから、
「どなたか、Yosakoiソーランの曲を作って下さる方を探しています」
と謀団員に問われたようで、その話がおいらのところに飛び込んできたわけ。

おいらが今まで曲作りをやってきたのは、殆どと言って良いほど吹奏楽曲ばかりだった。
もちろん、断っても別に構わないという話でもあった。
けど、自身の開拓精神にのっとり、ここで引き受けてみようと決心したわけ。

先ずは、謀よさこいチームの方を自宅へお呼びし、顔合わせなどをした後、
よそのチームが使っている歴代の演舞曲を何曲か聞かせてもらった。
おいらには、良いことにシーケンサー内蔵のシンセサイザーを所持していたので、
過去にこれを使って作った曲を聴かせてみて、音源等はこれで進める運びとなった。
曲制作にかかる条件としては、吹奏楽曲のアレンジ料と同等とした。

当時云われていた演舞曲の条件として、
4分半以内で、ソーラン節がどこかに入っていることを言われていた。
曲調については殆どお任せモードだったので、思うままに進めていった。

そして半月少々過ぎた頃か、半分位まできたので、
ここでチームのK氏をお呼びし聴いてもらった。
反応はまずまずだった。

この4月、今度はおいらがメンバーの皆さんが練習に使っている会場に出向いて、
ご挨拶がてら、作ったばかりの演舞曲を聴いてもらった。
すると、イントロから流れてくる音を聴いていたメンバー達は、
「す、すごい!鳥肌が立ってきちゃった」
なんていうほど、感触は上々!
この調子で、最後まで終結することとなっていた。

その2週間後にこのチームが方針や考えの違いなどで、
分裂しているというような情報を耳にする。

それから暫くして暖かくなってきた5月、
K氏がいるチーム側からバーベキュー大会のお誘いがあり、
おいらは一緒に参加することにした。
チームの親睦を図る絶好の良い機会と思ったわけ。
新チーム結成として、チーム名(K.H.)もこの場で披露された。

その月末には、主幹メンバーの皆さんを囲み、おいらの家で宴会もした。
明るい人たちで、なお一層和やかな雰囲気に包まれていった。


ところがこの6月、ひとつの異変を知らされる。
K氏より電話があり、今宵夫婦で自宅に来られて、
二人何やら打ち明けにくそうな表情でこう話した。
「実は、せっかく曲を作っていただいたんですが、 白紙に戻してほしいんです…
おいらは最初訳が分らず、一体何があったのか聞き返してみると、
「あの曲が、相手側の方に取られてしまうんです」

あぁ、ここでおいらの新事業もこれまでかと落胆モードになりかけていた。
でもおいらは二人の表情をみて、これまでのチームの経緯に不満を抱き、
憤りを感じ、遣る瀬無い自分達が悔しい、というような雰囲気だったので、
「経緯は良く分らないけど、私はあなた方二人の味方ですよ」
と言って二人を慰めるように努めたわけ。
それからお二人との交流が芽生えてきたような…。

既にこの時点で、完全に2つの派に分裂したんだと確信した。
でもここでおいらが感じたものは、
ここの人たちの明るい姿、チームを楽しく盛りたてようとする姿。
みな同じ考えと方向性を持ったメンバーが集まり、
まい進しようとする姿に感銘していったわけ。

そしてこの7月、高知のチームの曲に、
おいらのアレンジしたソーラン節を合体した準オリジナル曲が完成。
柏崎で毎年恒例である「どんGALA!祭り」に披露されるとのことで、
おいらも初めてそのようなイベントに出向いたわけ。


そして翌2002年、将来性を考え謀大手楽器メーカーの新兵器を購入。
よさこいの曲には打って付けの和楽器音源が装備されているスーパーマシンなのだ。
この頃から、謀チーム待望の完全オリジナル曲が完成していったわけだ。

やがて、関連の姉妹チームからも依頼の声がかかるようになり、
毎年1曲ペースで各チームの演舞曲を作るようになっていったわけ。

そして現在では、4チームほどがレギュラーとして曲制作をしているのだ。
吹奏楽物は今やお留守状態と言っても過言ではないかもしれない…(>_<)



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