作曲と編曲に惹かれて
私は学生の頃からよく作曲ごっこをしていました。
地元の一般バンドに所属していた頃、よく夏の吹奏楽コンクールに出場して、1985年頃からその自由曲に使う曲として、楽団側が私に管弦楽曲の吹奏楽アレンジを依頼するようになり、独学で編曲の勉強をしながら、五線紙にペンを執ることに明け暮れていました。
それだけではありません。 地元興しのイメージソングをビッグバンド編成で演奏するためのアレンジも担当したりで、吹奏楽に付随するものなら何でも引き受けるつもりでやってきました。 勉強にもなるし、スキルアップとしても前向きにやってきましたね(他にやる人もいなかったし…)。
やがて、管弦楽などの名曲は度々コンクールやコンサートでも取り入れられて、ここ数年は夢中でした。 しかし、編曲ばかりで何か物足りなさを感じるようになり、1988年には楽器屋さんでシーケンス制御付きのシンセサイザーを購入し、楽曲を作りはじめるようになりました。 この頃から、作曲というものに徐々に芽生え始めていったのです。
それからというものは、作曲と編曲が両立した環境になり、地元の市民音楽祭やホールの創立記念事業などがある度に、作品を発表する場が増えていきました。
過去に残した作品 ⇒ 私が作った吹奏楽曲
※赤字=作曲 青字=編曲
■1985:新井よいとこ=地元イメージソングのビッグバンドアレンジで表彰される ■1985:「ニュルンベルグのマイスタージンガー」より徒弟たちの踊りと名歌手達の入場 (ワーグナー)=所属バンドの吹奏楽コンクールに使用 ■1986:クセルクセスより「ラルゴ」(ヘンデル)=所属バンドのコンサートに使用 ■1987:歌劇「ミニヨン」序曲(トマ)=所属バンドの吹奏楽コンクール並びにコンサートに使用 ■1988:喜歌劇「美しきガラティア」序曲(スッペ)=所属バンドの吹奏楽コンクール並びに コンサートに使用 ■1989−1990:バレエ組曲「エスタンシア」(ヒナステラ) =所属バンドの吹奏楽コンクール並びにコンサートに使用 ■1991:「ニュルンベルグのマイスタージンガー」より徒弟たちの踊りと名歌手達の入場 (ワーグナー)=所属バンドの吹奏楽コンクール並びにコンサートに使用 【第2弾】 ■1992:パシフィック231(オネゲル)=所属バンドの吹奏楽コンクールに使用 ■1993:行進曲「友情の絆(フレンドシップ・フォーエバー)」 =地元市民音楽祭で披露(指揮:故F.フェネル、演奏:東京佼成ウィンドオーケストラ) ■1998:行進曲「勇気と感動」=地元の高校のコンサートで披露 ■2000:行進曲「THE FUTURE」 ■2001:交響詩「ローマの松」=所属バンドのコンサートに使用 ■2002:景虎シンフォニー「THE KAGETORA!」=地元ホール創立20周年記念事業の委嘱作品 2003年にコンサートで披露 ■2007:「哀愁ダンサー」 ■2010:「ゆかいな仲間と」 「愛のテーマ 〜My Dear〜」(原曲は1990) ■2012:「ビューティフル・トゥモロー 〜音階上の音楽〜」
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